えー私の持ってる漫画の中で、割と毎回楽しく読んでるものに『センゴク』があります。
この話は、織田信長時代から秀吉の部下として働き、その目覚しい働きで大名となりながら、凄まじい失態をして追放され、しかしそこから大アピールを施して再度大名に返り咲いた挙句、徳川家康、秀忠から気に入られ、江戸時代の大名として生涯を真っ当した、仙石秀久が主人公の話です。 漫画は史実通りの流れになってますが、現存する一次資料から既存の通説を常に検証し、独自の解釈を語っているところが面白いところでもあり、欠点でもあります。 ぶっちゃけ言うと、面白いし中々説得力もあるけど、うそ臭いという感じです。 まあ、登場人物に関しても自由な性格付けがなされてたりするので、そういうのはファンタジーと考えれば良いです。 さてこの漫画、大変丁寧にじっくりとひとつひとつのエピソードが描かれていますが、心配なのはあと何年続くかです。 ぶっちゃけ、『センゴク』15巻と『センゴク天正記』13巻かけて、まだ織田信長が死んでないという中々の進行っぷりなので、主人公の仙石秀久のエピソードがどこまで描かれるかが心配なところ。 なので、ネタバレにはなってしまうのですが、史実として調べれば出てくるものなので、この後登場人物がどうなっていくのかを描いてみたいと思います・・・飽きるまで。 あと、私もにわか戦国好きなので、wikiの記述がそのままだったり、どうしようもない知識の浅さはご笑納いただき、だいたいのノリだけ感じていただければ幸いです。 今後の主な流れ。 作中では現在、秀吉が中国地方の対毛利戦を行っています。 時期的にそろそろ本能寺の変が起こります。ここから秀吉は対毛利の最前線辺りから京都までの200kmの道のりを10日ほどで駆け上がるという凄まじい機動を見せて明智光秀に対峙し、これを破って信長の後継者になりました。 この時の秀吉の挙動があまりにも迅速で手際が良すぎたため、秀吉陰謀説(秀吉が明智光秀に信長を打たせるよう仕向けた)があるぐらいです。 では実際、何が凄かったかをピックアップしてみましょう。 ・信長が死んだ情報を、翌日にはキャッチしていた(明智方の間者(スパイというか密使というか)を捕らえて情報を得たとのこと) ・情報を得た当日、もしくは翌日に膠着状態だった毛利と停戦条約を結び、その日の内に撤退を開始した(この停戦に関する条件のひとつに「清水宗治の切腹」があり、部下を大切にする毛利が停戦に難色を示したところを、清水宗治自身が自分如きの命を惜しんで毛利家を滅ぼす訳にはいかないと、自分の切腹を受け入れることをこんこんと説きつめるという美談があります) ・中国方面軍数万の軍勢を10日足らずで行軍させるには、予め綿密な計画があったはずだという話(数万人規模の人間、しかもほとんどが歩兵、武具も兵糧一緒に運ぶ上に、さらにそこから明智光秀の軍勢と戦わなければならないという鬼設定) そしてまさに、このスピードこそが秀吉の勝因だったわけで、信長を打ったあとろくに準備もできていなかった明智光秀を打ち破り、筆頭家老と言われていた柴田勝家などよりも先に主君の敵討ちを果たしたことで、秀吉の発言権が強くなったのでした。 この辺り、明智さんが親しかった大名や親戚なんかに助力を求めるも、総スカンを食らうという人望のなさを発揮したり、同じく北陸方面の押さえをしてた柴田さんは知らせを聞いたものの撤収作業に手間取って敵討ちに参加すらできなかったなど、誰から見てもここ一番で決定的な仕事をした秀吉さんに比べてみんなが見劣りしてしまうという結果になっています。 ここから秀吉の天下統一が始まるわけです。 では、ここからは主人公の今後について。 ○仙石秀久のその後 秀吉が権力者となり、改めて全国統一に向けて動き出した際、四国、九州を支配下に置く軍の司令官ポジションになります。 四国攻めでは負けてはいるものの、結局四国は平定。その辺りを牛耳ってた超スケベ元チカンさんの領地をボッシュートし、四国地方に城を持つ大名になります。 ・・・はいいんですが、九州地方平定の際、第一陣として現地入りした際に軍勢の整わないまま抜け駆け突撃した挙句、島津の戦法釣り野伏せにやられて四国の有力大名勢をあらかた皆殺しにされる大損害を出した挙句、一人びびって一直線に自分の城まで逃げ出すという大失態をやらかします。 (釣り野伏せ:敵と戦いながら、押されて負けていると見せかけて後退し、敵を誘い出したところを待ち伏せして包囲する戦法。それだけ聞くと簡単そうだけど、相手には負けてるのを演技だと思われちゃいけないので、割と本気で戦う必要がある。しかも、相手を騙せる演技というのは味方も騙せるわけで、それでなくても人間誰も死にたくないから、演技のつもりで逃げ始めたのがいつガン逃げ状態になってもおかしくなく、そうなったらもはや作戦にならないため、指揮官の人員掌握力、個々の兵隊を精強さ、半ば本気で敗退しつつも壊滅せずに後退するという粘り強さが必要という、実はかなりの神業) このことについては、お相手の島津様より「仙石という奴は三国一の臆病者だ」という温かい励ましのメッセージが送られてきたり、当時宣教師として日本にいたルイス・フロイスという人が書いた書物の中に「秀吉の部下にさー、仙石っていう野盗がいてさー、戦場に出たら物は奪うわ命令聞かずに突っ走るわで、しかも肝心な時に役に立たないわでなんでこんなやつ生きてるんだろうね」みたいに記録されてたりします。 この頃はまだ温厚だった秀吉さんも大激怒。領地没収家没収で追い出された上に、町に降りてくんな山で暮らせ命令が出されました。 えー、全国100人いるんだかいないんだかの大名様が、あまりのやらかしっぷりに一夜にして犯罪者として山に隔離されたわけですね。 で、この後はしばらくおとなしくしてるんですが、秀吉の北条攻めに際して、自分の故郷から人を集め、当時既に強い発言権のあった徳川家康の旧縁を頼って陣仮りという形で出陣の許可をもらいました。 この時、何が何でもアッピルしたかったゴンベーさんは鎧の全身に鈴を結びつけ、ジャランジャラン鳴らしながら自ら槍を振るい、凄まじいまでの戦いぶりを見せました。 あまりの凄まじい戦いぶりに、箱根にある「仙石原」がゴンベーさんにちなんで付けられたという説があります。 元々秀吉は彼を気に入っていた節があり、武功については文句の付けようがなく、しかも秀吉の派手好きもあり、見事大名に返り咲くことに成功します。 後述する尾藤知宣が同じような境遇でも不興を買って斬首されてたりしますので、全く上手くやったとしか言い様がありません。 この後、秀吉が死んだ後は徳川家康に仕えます。 関が原の戦いの際には、2代目将軍秀忠が率いる第二陣に組み込まれますが、ここで秀忠さんは道中にあった真田の城を落とすのに手間取り、関が原の戦いに参加することができませんでした。 怒るパパン。ひれ伏す秀忠。 その時に一緒に行動をしていた仙石さんが「関が原の戦いがこうも短期間で終わったのは全くあんたの凄いところだけども、仮に戦いが長期化してた場合は秀忠さんはちゃんと間に合い、その軍勢が大きな援軍となって大いに勝敗に関わっていただろう。許したってください」と一緒に謝り、パパンの怒りを収めることに成功しています。 この時一緒に謝ってくれたことを秀忠さんは相当恩に思ったらしく「徳川秀忠付」という名誉職をもらい、江戸に行く際は道中に妻子の同行が許され、しかも幕府の使いが迎えを寄越したという凄まじい待遇を受けました。 これがどれほどの待遇だったかというと、 ・奥さん子供は江戸城で預かっている人質であり、普通の大名は江戸に到着するまで顔も見れない ・豊臣秀吉寄りの大名は関が原後、何かにつけて待遇が悪くなっていったことに比べて、秀吉の最古参である仙石に対するこの態度はほぼ徳川旧臣の功労者並の扱い ・江戸の仙石屋敷に秀忠さんが遊びにきたことがある などのエピソードがあります。 よって、この人物を主人公として見せ場を描くにはどうしても関が原の戦い後まで描く必要があります。 ・・・作者が死ぬのが先か、話が終わるのが先か・・・w ○秀吉の他の部下達 センゴク天正記になってから、にわかに秀吉の部下が増えました。 その中でもセンゴクは出世頭として活躍をするわけですが、いくつか気になる名前が出てきています。 石田三成や弟の秀長さんの話などはかなり有名だと思うので、ここはちょっと歴史の教科書などでは出てきにくい、ワンランクマイナーな人達の今後を紹介しましょう。 ○堀久太郎(堀秀政) 別名・名人久太郎。何をやらせても天才だったと言われる信長の側近です。 柴田勝家や豊臣秀吉に比べて名前の出てこない彼ですが、扱いはかなりのものです。本能寺の変のきっかけとなったと言われる、明智光秀の徳川家康接待が失敗した際、丹羽長秀と一緒にその後を継いでいます。へうげものでいうと織部さんが「くそたわけぇ!!!」と言われながらパイナップルを頭に載せられる辺りです。 秀吉と家康が覇権を賭けて戦った際に、徳川軍の奇襲を受けて森長可さん達が討ち死にし、大将の秀次さんが逃亡したりする中、敵を撃退して悠然と引き上げたりしてます。へうげものでいうと織部さんが玄米爆弾食わされてる辺りです。 面白いエピソードとしては、弟が秀吉の不興をかって弟が辞職した際に、今後不便もあるだろうと黄金10枚を届けさせ、届けた人間が持ち帰った金を包んでいた紙を一枚一枚のして箱に戻しながら「お金は使うべき時は黄金10枚でも惜しむべきじゃない。そうじゃない時は、紙10枚すら無駄にするべきではない」と語ったというものがあります。 この人は病を患い、北条攻めの際に死亡しました。 ○可児才蔵 別名・笹の才蔵。戦場で殺した人間の首があまりに多くて持ち歩けないから、地面に転がして「これ俺が殺したやつ」と口に笹を咥えさせたことからこのあだ名がついたと言われている。そんなん、誰かに奪われたらどうするんだと思うかもしれないが、本人そこまで気にしない性格っぽいし、何より虎から獲物を横取りするような真似ができたとは考えにくい。 我流で槍を振るっていた後、ある時期に宝蔵院胤栄の元で槍を学んだ時期があるらしいです(バカボンドで出てた十字槍使い) 戦場の働きは無類の物で、爺さんになって剣を腰に帯びることすらできなくなった後も、自分を老人と侮った相手の首を一瞬で切り落としたという話が残っている生粋の武人です。 豪壮なエピソードが数多く残っていますが、何気に礼儀作法や人物評にも優れていたというエピソードが残っています。 ○神子田正治 作中では天正記の6巻辺りから登場し、仙石より先に出世しています。 羽柴四天王の一人に数えられ、竹中半兵衛の後継者とも言われたことがある人ですが、どうにもいい話がありません。 軍略に優れた人だったようで、彼も後に大名となりますが、家康と秀吉の戦いの際、撤退する味方の殿(一番後ろ。全軍を逃がすための盾となるために、凄まじく死亡率が高い)であったのも関わらず、他部隊が交戦する間にさっさと離脱して、仙石と同じく領地没収で追放されました。 どうも頭はいいけど空気が読めない人らしく、この独断による撤退のあと、気に入らないながらも首をひとつ持ってやってきた神子田を「とりあえずよくやった」と気を使って褒めてやったら「こんな小さな武功を褒めてどうするんだ! こういう場合は一方的に叱りとばすべきだろう!?」と言い放ち、秀吉さんをマジギレさせたのが追放された理由のようです。 他にも「俺らこんだけ頑張ってるのに、5千石しかくれないなんて秀吉様ケチだよな」と愚痴を言ってた同僚達に「土地が足りないからとりあえず5千石で我慢して、とか言って納得させられると思ってるなら、俺らどんだけ馬鹿だと思われてんのかな。おい、ちょっと「そんな馬鹿に5千石もくれてありがとう」ってお礼言いにいこうぜ!」と鬱陶しい皮肉を言いにいったりと、性格にかなり難があった模様。 彼はその後、九州攻めの際にもう一度雇ってくれと懇願しましたが、許されずに斬首された上に、その首はさらし首にされて「この者天下の大臆病者なり」と立て札まで立てられました。 その辺りのゴンベーさんとの違いについては後述します。 ○尾藤知宣 作中では神子田と共に天正記の6巻辺りから登場。 彼も羽柴四天王の一人に数えられており、対徳川の際には前線司令官みたいな役割を担っていますが、敗れて敗走しています。 つまり、今まで挙げてきた人物を並べると、 ・堀:敗走して敵が迫ってくるところを、返り討ちにして悠然と引き返した(お咎めなしどころか名声を上げることに) ・神子田:勝手に逃げ帰った挙句、秀吉の気遣いも無視して言い訳をして追放 ・尾藤:森長可の積極案を採用するも敗れて敗走(お咎めなし) という同じ事象でも人によってこれだけ差が出ています。 さて、彼はその後も変わらず用いられ、ゴンベーさんが九州攻めでやらかしちゃった際の後任になります。 彼はゴンベーさんがやらかしちゃった後の引継ぎがスムーズに行ってなかったこともあるのでしょうか、決してこちらからは討ってでず、味方が救援を求めてきてもガン無視し、一緒に戦ってた藤堂高虎さんが僅かな兵を率いて救援に向かった挙句奮戦して逆転大勝利を収めちゃった後も、黙って見ていただけでした。 さらにその後、ゴンベーさんが敵の撤退に対して不用意に飛び込んだことから大失態を犯したことから学び、敵が敗走を始めても決して追撃しませんでした。 秀吉、マジギレ。 実際、この時に追撃を行っていれば島津は滅んだぐらいのレベルだったらしく、彼の消極案によって島津はかなりの領土を保有し続ける結果になりました。 このことが原因で、彼も追放処分になります。 この後、彼は北条攻めが終わった後に頭を丸めて秀吉のもとに訪れ、怒りを静めて再雇用するよう懇願します。 秀吉は直々に彼に「尾藤」と声をかけ、自分の馬を持ってこさせて彼を馬に載せ、その姿を見物した後、この処遇に喜ぶ彼に突然「こいつを成敗しろ」と言って斬首させました。 しかも、かなりキレさせたらしく、鼻を削いで両腕を切り落とした上で首をはねられたと言われています。 ○仙石、尾藤、神子田の違い 彼らは似たような罪を犯していますが、その扱いには雲泥の差があります。 それは決して誰が気に入られて、誰が疎まれていたという違いだけではありません。 彼らにはあまりにも明確な差があります。 もう一度整理をしてみましょう。 ・放逐理由 仙石:勝手に功を焦って戦った挙句、敵の罠にかかって敗走し、役目を放棄して自分の城に逃げ帰った → 追放 神子田:敵の追撃を受けるも早々に戦線を離脱し、挙句主君に対して暴言を吐きまくった →追放 尾藤:十分な兵士を持ちながら味方の救援も行わず、敵の追撃も行わず、ひたすら静観していた → 追放 ・秀吉への謝り方 仙石:自力で戦力を整え、秀吉と親しい間柄である家康に仲介を頼んで戦列に加わり、死地に飛び込んで抜群の手柄を立てた後、許しを請うた → 大名に返り咲き 神子田:九州攻めが始まる前にやってきて、許しを請うた → 斬首 尾藤:北条攻めが終わった後にやってきて、頭を丸めて許しを請うた → 斬首 というように、並べてみれば一目瞭然です。 彼らの謝り方が、秀吉の立場からすればどういうものか考えてみましょう。 神子田はまず、何もしてません。これから戦いが始まろうという時にやってきて、反省してるのでもう1回雇ってくださいと言ってます。 尾藤も同様です。北条攻めという国内の戦争はもう最後、ぐらいの戦が終わった頃にやってきて、北条に勝利して良かったですねー、その景気のいいところでどうかひとつ許してくださいと言ってます。 なめとんかと。 ある意味、この何もせず許しを請うっていうのは「ほら、おまえが俺らをクビにしたのって間違いだったべ? 俺らがいないと困るべ? 許してやるからもう1回雇えよ」と言ってるようなもんです。そりゃあ、どの面下げてやってきてんだこの馬鹿どもと言いたくもなるでしょう。 一方ゴンベーさんはと言えば、大物大名である徳川さんを通して参戦の手続きを踏み、復帰をかけて一大アピールを行い、誰からも賞賛される結果を出した上で、その結果を手土産に許してくれと言っています。 ・勝手な行動を取ったことを反省して、正規の手続きを踏み、 ・復帰をすることに誰からも反対意見が出ないような結果を出し、 ・復帰したらこれぐらいの働きはしてみせますと証明した上で、謝っている ここまでやれば復帰させてやろうという理由が生じますし、失敗したらこうやって挽回をしろという手本にもなるわけで、更に断れば仲介した徳川の顔も潰すことになる、と。 この外堀の埋めっぷりこそが処世術と言われるものであり、仙石秀久という人物が決してゴマすりの上手さだけで地位を得たわけではなく、状況と相手に合わせた処世術でもって出世を行ったことがわかります。 作中ではとかく頭の足りていない描写をされていますが、頭が足りていなくとも失敗した際には必ず挽回を行うという作品のテーマは、確かにこの人物の史実と一致するものです。 と言った視点でもって、各登場人物の動きなど見てみると、また違った楽しみ方ができると思いますので、機会があれば読み直してみると面白いかと思います。
by udongein
| 2012-02-27 00:57
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